ちょうさの歴史
ちょうさ祭の歴史を読み解く
先人たちの軌跡
ちょうさ祭の歴史を読み解く
先人たちの軌跡
ちょうさのルーツを
京都の祇園祭にみる
お神輿と同じく、神様の乗り物で町内を回るのが『 ちょうさ 』。
祭礼の際に引いたり担いだりする出し物で神輿よりさらに重く、車輪がついて、人力で引きます。
ちょうさは、西日本を中心に多く特にその中でも、近畿地方では大阪、兵庫(淡路島が多い)、香川、愛媛、徳島、岡山、広島の各県に多く、九州にも少しは点在しています。
そしてその源流は、京都の祇園祭にあるようです。
お祭りの間、神様を招き入れ、滞在していただくために作られたちょうさは、その後、神様がもっと喜ぶよう、華やかな装飾がほどこされました。
香川県では、全域において祭礼に彩りを添えていますが、西讃でも豊浜、観音寺、大野原に大人用の太鼓台が多く、東へ移るほど小型化しています。また、きらびやかさもなくなっているようです。
四国において、豪華絢爛で金糸銀糸の刺繍をした、飾り物のある太鼓台の祭として賑わいを見せているのは、香川では、小豆島と三豊地方(特に豊浜町周辺)、愛媛では、新居浜・西条市などです。
全国各地で開催される祭りの中でも華麗で勇壮な『 ちょうさ祭 』は年月を経て人々の心にしっかりと刻み込まれ見る人を魅了し続けています。
ちょうさ祭の
歴史探訪
豊浜のちょうさは、高さが五メートルを超え、全国的にも最大規模ではないかと言われています。
交通体制が進んでいなかった昔は今のように大きくて豪華なものではなかったでしょう。
小型で装飾も素朴なものだったと思われます。
現在のような、絢爛豪華なちょうさになったのは、明治二十年以降といわれています。
豊浜では現在の『 ちょうさ 』として残り、今日まで受け継がれてきました。
豊浜のちょうさは、太鼓台の屋根の先に、『 とんぼ 』と呼ばれる赤色の結び目が付いています。その下に『 七重(しちじょう) 』と呼ばれる七段重ねの赤色の布団が据え付けられています。
また、金糸銀糸で竜や寅などを刺しゅうした、一辺が1.5メートル程ある『 掛け布団 』は、かつては他の地域の太鼓台と同様に四方を飾っていましたが、現在は前後の二枚になっています。道路が狭く通行に不便なためとされます。
三日間にわたって繰り広げられる祭りのために一年間働くといわれるほど、豊浜の住民にとってこの祭りの意味合いは深く唯一無二なのです。